今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

私におじいちゃんはいない
昔によくある、浮気で子供を作っちゃったからだ
おばあちゃんはその後おじいちゃんの子供を身篭った事を知りつつも、関係を戻そうとはせず
私のお父さんを女手一つで育て上げた

親子揃って離婚してしまったおばあちゃんと、お父さんと暮らしている。

おばあちゃんの手料理が毎日食べれるのは
きっと誰にも負けないと思うぐらい幸せな事だ

おばあちゃんの作った
ハンバーグ、コロッケ、豚カツ、チャーハン、野菜炒め、味噌汁、ご飯、スパゲティ…
書ききれないけれど、私が作ったものとおばあちゃんが作ったものは、作り方も材料も量も同じで、でもおばあちゃんの方が遥かに美味しい。そんな気がする。

毎日おばあちゃんに起こしてもらえる
おばあちゃんは甘い人だから。
ついでにスイーツは苦手なんだけどね。
おばあちゃんは珈琲が好きだから、たまに買って帰るとすごく喜んでくれる。



私がまだ小学生の時
お父さんは再婚すると言っておばあちゃんは反対した。
結果、まだ7才だった私は
「ばーばみたいなしわくちゃなお顔じゃなくって、つるつるのおねーさんと一緒にくらす」
と言ったらしい

今考えると胸が張り裂けそうなくらい悔しくつらい気持ちになる。
前妻との離婚の際、親権裁判で私の為に多額の金を使い、やっとの思いで私を育てる事が出来ると思っていたからだそうだ。

その後反対を押し切って再婚した父だったが
父がいない間、私は母に虐待を受けた。
傷口に冷たい水が染みて痛かったり、
呼び出されて蹴られたり
ご飯が食べれずひもじい思いをしたり
寒い日に家に入れてもらえなかったりした時
私はなんでばーばを選ばなかったんだろう
と、酷く後悔し、小2にして夜は毎日涙で枕を濡らした。

学校のアンケート調査でその事が学校に伝わり、おばあちゃんと一緒に暮らせることになった。
私は、最後に母と別れる時酷く静かに泣いた。
これで終わると思った安心感か、
それとも、寂しいと思ったのか、
私はあの時なぜ自分が泣いたのか覚えていない。


私が帰った時、おばあちゃんはとても強く私を抱き締めてくれた。とても暖かかった。とても暖かくて、優しい手だった。そのしわくちゃな顔を更にしわくちゃにして笑いながら、しわくちゃな手で小さかった私の頬を挟んで、「帰ろう」と言ってくれた。

おばあちゃんはその後の事をたまに話してくれる。

「あんたね、家に帰って何も食べようとしなくてね。食べていいんだよ?って言ったら、あんた「食べるの許可いるんじゃないの…?」って聞いてきたんだよ。食べるのも、飲むのも、家にあるのは食べても良いんだよって言ったら「ほんとに?ほんとにいいの?」って聞いてきてね、小さいやせ細った手で食べてるの見たら涙出てきたんだよ。私は力ずくでも行かせなければよかったって、そう思った」

そう言ってくれた。おばあちゃんは私の救いだと今でも思う。


今もおばあちゃんと一緒に暮らしている。

小学6年生の時お父さんがまた離婚し、帰ってきたお父さんは常にイライラしていて私に何度も怒鳴り手を上げた。私は学校でいじめにあい、おばあちゃんが心配してくれたその手を振り払ったりした。
お金が底を尽き、おばあちゃんは睡眠時間を削って働き、私は中学に入りどんどん病んでいった。

手を上げる父と、なかなか話を聞いてくれない祖母
学校に行けば「菌が来た、近づいたら病気になる」と避けられ、叩かれ
気付けば「いらない子なんでしょ、私なんていない方がいい」と薬を60錠飲み、吐き散らしながら、自分の腕を何度も何度も傷付け、泣き続けてしまっていた。腕を縫いに病院に行ったり、精神科に連れていってくれたり、傷の手当をしてくれたのはおばあちゃんだった。


今、私は高校生だ
もちろん今もおばあちゃんと父と暮らしている
父は中学の時と比べて随分優しくなったように感じる
私はバイトをし始め、家計も少しずつ安定し始めた。
家はすっかり〈落ち着ける場所〉になった。
それもこれも全ておばあちゃんのお陰だと思う

私はおばあちゃんに救われた
だから大人になったら、沢山楽しいことをさせてあげたい。おばあちゃんは私が居てくれたらそれでいいと言うけれど…。
今はおばあちゃんと旅行に行くことが目標だ



最後に
私は、おばあちゃんが大好きである。